クライマックス

2004年2月16日
陣痛開始からずっと時間を計っていたのですが 今改めて見ると「?」って思う数字に見えない落書きが綴ってあるだけ・・・
最初は記録係に任命された旦那に任せていたのですが 私が痛み始めるとそっちに気を取られて 書くのを忘れてしまうため マッサージ係に任命して記録は陣痛がおさまった時に自分で書くようにしていましたが マッサージ係に睡魔が襲って来た為 ベットの隅っこで寝てしまいました。(二時間ほど)
その後 話が出来ないほどの痛みに代わった頃、マッサージ係を叩き起こしました。ただ 痛みが来ると話せないので 旦那が「お! 今痛そう。」と思った時にマッサージをしてもらうルールが暗黙の了解でした。以外とさすってもらうだけでも 痛みが和らいで、「やっとこいつが役に立つ・・・」
それから 今度は話をするどころか 息をする事もままならないほどの痛みがやって来た時、間隔も短く 体の中で子供が移動している間隔がはっきり分かり「看護婦さん呼んで!」と頼んだ瞬間、腰からお尻まで砕かれたような痛みで 呼吸が出来ない状態に「ねーねー 何て言って呼べばいいの?」と呑気な台詞、怒りが込み上げて来ました。「呼べ!!」
その時は 本当に痛かった ナースコールを指差す事も 旦那に「呼べ!!」と言う事も「ここが痛い」と知らせる事も出来ない、ただじっと丸まって痛みが治まるのを待つ、呼吸が出来ない苦しさより 痛みの方が苦しかった。「あ〜 子供を産むって命がけでこんなに辛いんだ、もう 子供は絶対産まない! うちの旦那ムカつく!!!」と 考えていました。
なんとか看護婦さんを呼んでくれて 内診をしたら
「じゃ これから分娩室に移り 出産しましょう。」と 言われました。
「え? この状態で歩くの? 無理無理無理無理!」と思いつつも看護婦さんに手を引かれ ゆっくり歩き 分娩台に寝ると 周りでは5、6人の看護婦さんがいろんな準備をしていました。お腹に機械を付けてモニターしてみると「あら、この赤ちゃん出産直前なのによく動いている」と言われた「まだ動いてんのかよ! 暴れ者なのね、うちの赤ん坊、お願いだからこれ以上の痛みを加えないでくれ・・・静かに産まれてくれ・・・」
一通り準備が終わると いよいよ出産。「もうすぐ寝られる」正直
これが心を支えた一言でした。
ただ ここにきて 息み方が解らない。母親教室みたいなものに行ってなかったので 戸惑いましたが「ようは 出せばいいんだよな・・・ って事は う◯こと同じ?」半信半疑やってみると、いきみが上手いと看護婦さんに褒められました。褒められると 嬉しいのと、終わりが見えてきたのと、いきむと痛みが和らぐので 少し元気が出てきました。
深呼吸を2回した後 思いっきりいきむ! っつーのを3回やったら「もう息まなくていいからね」と言われ 太ももに生暖かい物を感じ 嘘のように痛みが消えた後 ちょっと小さい声で泣き声が聞こえた。私のお腹の上に小さい小さい紫色の赤ちゃんが乗っていたのを一瞬見て「ありがとうございました、 わぁ 宇宙人みたい・・・」と言ったら看護婦さんに笑われた。

子供の泣き声が少し遅れて聞こえてきた時には
「あ、これで寝られる・・・」と 産まれてきた喜びより そっちの方が嬉しかった。
赤ん坊を取り上げてから 私の下半身では助産婦さんが一生懸命私の股間押さえているし、大慌ての看護婦さんが あっちへ行ったりこっちへ行ったり「先生呼んで来て!!」と大声をだしていた
私は立ち会いが出来なかった旦那をすぐ呼んできてくれ、感動のご対面・・・ と思いきや 当直の先生がやってきて
「出産で子宮が数カ所裂けてしまったので これから縫いますが 麻酔が出来ないんです。かわりに眠くなる薬を点滴します?」と聞かれました
私は何の事やら分からず
眠くなるって何? と思いつつ「試しに眠くなるお薬はしないで下さい」と言ってみたが、一刺し目で「やっぱり眠くなるお薬お願いしますぅぅぅ」かなり痛かった。だけど 意識は朦朧とするものの痛みで全然眠れなくて 縫った後は止血をする為子宮に布を詰められた これが痛い! 結局身悶えながら30針も縫って 看護婦さんが分娩台から流れた血をモップで掃除して 赤ん坊が産まれて1時間してから旦那が呼ばれた。その時赤ん坊も寝ている私の横に置かれオッパイをあげてみたら チュクチュク飲んでる、これはビックリした。当たり前の事なんだけど一生懸命飲んでる。ちょっと感動!
旦那は私がウンウン唸っている時も 出産した時も寝ていた
待ち合いのロビーに先生がきて「今 産まれましたよ。」と起こされたらしいのだが 寝ぼけていて そのまま2度寝しやがったらしい、
「だって それから全然呼ばれないから 夢かと思ったんだよ」と、言い訳。しばらくビデオを撮ったりして話し込んでいた。
丁度その頃 眠くなるお薬が効いてきたのか 何を話しているのか自分では記憶がない、ただ小脇に赤ん坊がいてシワシワの指を数えたりしていた。旦那に抱っこさせると 匂いを嗅いだりしていたのを覚えているくらいかなぁ?

それから旦那も家に帰り8時くらいに担当の先生がやって来て診察してくれた、

が!!

痛いのは終わりじゃなかった。どうやら当直の先生ったら
縫い忘れてしまった所がある、しかもまだ子宮の中に胎盤のカスみたいのがボロボロはがれているので 掻き出さなくてはいけない。
これは言葉には表せないくらいの激痛でした、看護婦さん4人に押さえ込まれ、今思い出しただけでも涙が出る、ほとんどトラウマになったよ! だって出産したばかりで傷だらけの子宮をもう一度ガリガリ引っ掻いて 麻酔も使わずに縫うんだよ!

それからまた布を詰め込まれ 私は放置された すでに15時間くらい過ぎていました
 ずっと分娩台の上でカテーテルを入れられて点滴をしながらご飯も食べれず(食欲もなかったけど)ずっと同じ姿勢で寝っぱなし、しかもカテーテルを入れてもらった時に傷がついたみたいで 痛くて痛くて我慢できず涙が出て来た(出産でも泣かなかったのに)
看護士さんに「いつまでこうしてるんですか?」と聞くと「もうすぐ先生が来るから・・・」と 言って去って行くんだけど、
「先生 忘れてんじゃないの?」と 他の看護士さんと笑って話してるのが聞こえてきてムカついた!!
その頃 私の母親は明け方出産した私は もう病室にいるのだろうと思って探していたのにいないので 看護婦さんに聞くと まだ分娩室にいると聞きビックリ。分娩室に通されると 私がオンオン泣いているので2度ビックリ!
「ど、ど、どうしたの? なんでまだここにいるの? どうしてないてるの?」
「こっちが知りたいよぉ! カテーテルがいたいんだよぉーーー」
と 泣けて泣けて仕方がなかった
だって カーテン一枚で仕切られている 隣の分娩台では 私が放置されている間に3人も産まれて その出産の状況を聞いていると
私も一緒に息んじゃったりして 痛みを思い出しちゃって 1日で4回出産体験したみたい。みんなしばらく休むと 病室に帰って行くし 私は分娩台で床擦れが出来るんじゃねーかっつーくらい寝かされて もう何かの刑に処されているみたいだった。
ようやく 母の申し出に 担当の先生が顔を出し診察してくれてやっと病室に案内されました。
その間も旦那は家のベットで寝ていたらしい。夕方病室に来て私の病院食を食って帰っていきました。(TーT)
 

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索